豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈下〉 (文春文庫)
他の本では「秀吉の智謀」の一言で済まされてしまう羽柴軍の目覚ましい働きが、
どれほど辛苦に満ちたギリギリの作戦であったかが分かる。
巧妙な作戦にも地道な準備や忍耐力が要るのであって、
秀吉が決して魔法使いでないことが分かる。
秀吉とともに苦労し、耐え忍びながら実直に生き、功績は全て兄に譲った。
それが「この人」なのである。
特に筆者が経済人であることから、
文学系の作家に欠けている金銭的な視点が作中でよく生かされていると言える。
「この人」もまた裏方として金策に並々ならない苦労をした。
鳥取城の兵糧攻めで鳥取城近辺の兵糧を買い集めたときや、
高松城の水攻めでダムを作ったときなどは、えらくお金がかかったらしい。
それでも「この人」はよくそれをこなしたが、表立った評価はされなかった。
「この人」は常に地味で謹厳であった。
そのため、策謀をひけらかす黒田官兵衛が小賢しくて浅い男に見えたらしく、
この本では、官兵衛に対する「この人」の評価は、秀吉と違って冷淡になっている。
豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈上〉 (文春文庫)
「豊臣秀長」は、戦国時代を書いた小説の中でも、特に上位に入れていい本だと私は思っている。
「秀吉」でなく「秀長」を主人公に据えたこと、これだけで評価に値する。
もちろん、秀長は秀吉の裏方であったのだから、小説では兄秀吉の行動が中心になるが、ほとんど重視されたことのない秀長という人を、これほど愛情をもって描いた小説を他に知らない。
これは、著者自身が「トップではなく二番手以下」と己を位置づけていることと関係するのだろう。
私はこの小説で、「優秀な組織は二番手が優秀なのである」ということを知り、さらに実生活でもそれを体感するに至り、著者の炯眼に頭を垂れる思いである。
何より、堺屋氏の秀長(小竹)に対するきめ細かい人物描写といったら、想像が何%なのか知らないが、「小竹はこういう人だったに違いない」と膝を打ってしまうほどだ。
丸顔で、人当たりが柔らかく、常に兄を立て、最も優秀な部下でありながら決して兄を裏切らない。
この弟あっての兄であったのだなあ、と感慨を深くする。
「優秀な組織は二番手」をいうのに、これ以上説得力のある例はない。
大河ドラマで高嶋弟が演じていたことがあるが、顔は到底似ていないにしても、その存在感は、戦国時代を描いたドラマの中では比較的堺屋版「秀長」に近いのではないか、と思う。
朝鮮出兵だの利休切腹だのと、秀吉にとって不名誉な事実が記憶されているのはいずれも秀長の死後である。
私ですら、「秀長様が、ご存命ならば」と思ってしまうのだから、当時を生きた人々はなおさらであっただろうと想像される。
堺屋氏と同じく、私も二番手タイプである。
小竹の人生は、はからずも二番手となり、それを全うした大いに意味のあるものであった。
彼に子がなかったこと、倹約により財を残していったことを思うと、涙が出る。