大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)
この著者の作品は初めてである。正直、最初は何て暗い話ばかり書くヤツなんだっと思ったが、どうしてどうして、短編集なので、読み返しているうちに響いてくるものがある。鋭い人間観察能力に脱帽。他の方もおっしゃっておられるが、訳がいい。解説も詳しくて得した気分。
ST.MARY’S CATHEDRAL パイプオルガン誕生 [DVD]
目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂の電気式(鍵盤とパイプを電気で連動させる方式)オルガンが修理できなくなり、機械式(鍵盤とパイプを、スライダーなど全てメカニズムで連動させる方式)オルガンを新たに作った記録映像です。
オルガン製作者は、代々家族でオルガンを作っているビルダーで、ミラノのドゥオモのオルガンも作っている名門ビルダーです。きれいな空気の中で親子兄弟でこうした手作りの仕事をしているのは見ていてうらやましく思えます。
オルガンの制作工程の他、膝の上に乗せて片手で演奏するポルタティーフオルガンなども出てきます。バッハやブクステフーデ、フレスコバルディなどオルガン音楽好きの方々におすすめです。(実はポルタティーフオルガンを自作したいのですが未だに取り掛かれていません)
Cathedral (Vintage Contemporaries)
レイモンドカーヴァーを日本に紹介したのが村上春樹だったことは よく知られている1980年代の伝説の一つだ。
カーヴァーを初めて読んだ時に感じた衝撃は今でも覚えている。「ダンスしないか?」という短編だったと記憶しているが とにかく「人間の絶望」というものを かようにドライで淡々と書く才能には 本当に目を見張ったものだ。
やはり村上ファンだった僕の友人は 「カーヴァーの作品世界は正しく村上春樹の世界だ」と言い張っていた。その意見は 今考えてみると 全く当たっていないとは思うが 1980年代には いくばくかの説得力がある意見だったと記憶している。あの頃の村上も「人と人とのディスコミュニケーション」がテーマであるように語られてきたし 実際 そんな「お洒落で軽い絶望」が 村上の持ち味であると僕も思ったものだ。
カーヴァーが亡くなったのは1988年だ。もうすぐ20年になる。彼は日本では読者に恵まれたと 今 思う。そう 日本人の大半は村上春樹経由でカーヴァーの辿りついたと思うがその結果 彼の良い読者が この 米国から遠く離れた国にも 沢山居るのだと思う。それは彼に対する一種の供養のような気もしないでもない。
The Pillars of the Earth
この本の存在は十数年前から知っていました。ただ、分厚い本だなぁという印象だけでした。Ken Follettという名前からのインパクトもなく、手に取る事さえしなかったのです。しかし、この1000ページにも及ぶ一大叙事詩ともいうべき波乱の物語を読み終わると、なぜもっと早く読まなかったのかと悔やまれます。
40-50年の長きにわたる物語が、幅広い振幅とスピードでめまぐるしく眼前に広がるのと、中だるみが全くなく、いつ、どのような話に変わっても、そこからアッと驚く話が始まります。オリジナルの文章はこの2-3倍もあり、エッセンスだけを凝縮したような印象を受けました。とにかくだるい部分がありません。これだけ読者を引きつけて放さない小説を書けるKen Follettのstory-telling能力にただただ脱帽するしかないと思います。
中世時代に寺院を建立するという、面白くなさそうなテーマの中に息づく多くの登場人物の波乱の人生に涙し、喜び、ハラハラしながらも、一家で流浪を続ける貧しい大工の話に英国国王と教会の対立という図式が交錯するスケールの大きさに圧倒され、最初のページの何気ないプロローグが最後のエピローグにしっかりと結びついて、アッと言わされ、満足感が得られるこの感動は久しぶりに味わうものでした。
膨大な英文の量に圧倒されずに、手に取ることをお薦めします。気が付いたら読み終わっていると思います。