浮雲 (新潮文庫)
日本初の近代的小説である。内容が云々と言うより、「小説というものをどうやって書くか」という点に悩んだ作者の苦悩が伝わって来る作品である。また、作家を志す旨を父に告げた際、「くたばってしまえ」と罵倒された文句をそのまま筆名にした作者の苦衷が忍ばれる。
四迷は小説を書く言葉について考え抜いた挙句、落語の語り口を選んだ。文語(漢語)でもなく、かと言って日常の話し言葉でもない言葉を捜しての苦悩の選択である。現在の眼で見ると文語調に感じられるが、当時としては斬新な試みだったと思う。
その後の明治文学の先駆けとなった記念碑的作品。
浮雲 (新潮文庫)
日常の惰性の現実から逃れるようにゆき子はタイピストとして仏印にわたる。そこで出会った富岡。富岡もまた漂流者である。幻のような占領下の仏印で、二人は結ばれる。日本占領下のサイゴンやダラットはオーウェルやモームが描いた植民地とどこか共通性を持つ。ここでの三角関係は断片的な記憶としてあとで描かれていく。配線によってそれぞれ日本に戻った二人。帰ってきた二人にはもはや希望はない。ゆき子は富岡を求めるのだが、富岡はもはや仏印の富岡ではない。ふたりは傷つけあう。ゆき子の死によって話は突然終わる。まもなく突然生涯を閉じる林芙美子の思いがだぶってくる。ここには放浪記や北岸部隊の明るさはもうない。未来は見えずあるのは過去。行き先はどこにも見いだせない。
其面影 改版 (岩波文庫 緑 7-4)
日本近代文学史上、二葉亭の『浮雲』の出現は画期的なものと認知されているけれども、それから20年ぶりに発表された『其面影』は今日に至るまで正当に評価されていない。これは誰がなんと言おうと彼の最高傑作であるばかりでなく、明治期の日本小説最高の作品である。『浮雲』の青臭さを払拭したうえで、冷徹な人生観照を隅々にまで行きわたらせ、哲也と小夜子の悲痛な運命を浮かび上がらせることに成功している。そこに描かれた近代知識人の自我の懊悩は、以後漱石の『三四郎』から『明暗』の諸作に引き継がれていく。この一作なかりせば、日本文学史はかなり違うものになっていたであろう。