テヘラン ランキング!

テヘラン 「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」 ―希望の絆をつなげ プロジェクトX~挑戦者たち~

トルコが飛行機を出してくれたことは知ってるけど、それを働きかけた日本人商社マンの尽力と日本の政府努力。こういう事態があったことは知ってても具体的に大使館がどういう努力をしたとかは知らなかったので、最善を尽くそうと努力していたことが迫真となって迫ってきます。飛行機が手配できたあとで、どうやって連絡を取るのか(人力というか足での連絡というのがまた…)とか、日航機が手配できないなど何もできなかったことが歯痒く思っていたのですが、実際にはここまでやっていたのか、と思いました。面白かったです。 「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」 ―希望の絆をつなげ プロジェクトX~挑戦者たち~ 関連情報

テヘラン トゥイスト・アゲイン・オ・シネ(3)

♪このフレンチ・ムービーを中心とした主題歌 & 挿入歌のアンソロジーもいよゝ第三集!!今回は1970年代後半から80年代にかけて録音された音源が集められており、今更なのだが Vol.1,2,3と、どうも時系列に沿ったセレクトになっているようだ。ちなみに本邦公開された作品は以下の6本―『人生は長く静かな河』(仏:89/#7)、『愛と哀しみのボレロ』(仏:81/#11)、『わたしは贈りもの』(仏:87/#16)、『レプスキー危機一発』(米:89/#20)、『ニムの秘密』(米:??/#22)、『テヘラン』(仏=ソ:81/#24)である。レゲエ調のナンバーがいくつかあったり、今聴くと若干時代がかった(?)シンセ・サウンドが幅をきかせていたりと、“時代を感じさせる”箇所も無いではないが、全体的にはいかにもフランスらしい、シックでお洒落なトラックが多めな印象。以下個々の音源についても記しておこう―♪オープナーはいきなりのサルサ!!どちらかと言えば男女の会話がメインのトラックである。#5は往年のシャンソンっぽいノスタルジックなワルツ。英語で唄われる#8は正統派のマイナー・キイ・バラッド―唄そのものもすこぶる上手い。#9はあの“ミラー・サウンド”をシンセでアップデートしたようなゴージャス感あふれる仕上がり。#12ではダブル・シックスや TSF を思わせる混声コーラスが何処までもジャズィに迫り、原曲では軽やかな女声スキャットがフィーチュアされていたモリコーネの#15には、フランス語による新しい歌詞が付けられ、男性歌手が朗々とした調子で唱い上げている。軽妙な#16はタイトル通りショウビズ色の強い男女のデュオ・ナンバー。数年前にアカデミーで賞を獲った『アーティスト』みたいな内容だったのかしらん…ディーディーが英語で唄う#20もジャズ・ヴォーカル好きには見逃せない1曲だろう―ご堪能あれ!! トゥイスト・アゲイン・オ・シネ(3) 関連情報

テヘラン

♪このフレンチ・ムービーを中心とした主題歌 & 挿入歌のアンソロジーもいよゝ第三集!!今回は1970年代後半から80年代にかけて録音された音源が集められており、今更なのだが Vol.1,2,3と、どうも時系列に沿ったセレクトになっているようだ。ちなみに本邦公開された作品は以下の6本―『人生は長く静かな河』(仏:89/#7)、『愛と哀しみのボレロ』(仏:81/#11)、『わたしは贈りもの』(仏:87/#16)、『レプスキー危機一発』(米:89/#20)、『ニムの秘密』(米:??/#22)、『テヘラン』(仏=ソ:81/#24)である。レゲエ調のナンバーがいくつかあったり、今聴くと若干時代がかった(?)シンセ・サウンドが幅をきかせていたりと、“時代を感じさせる”箇所も無いではないが、全体的にはいかにもフランスらしい、シックでお洒落なトラックが多めな印象。以下個々の音源についても記しておこう―♪オープナーはいきなりのサルサ!!どちらかと言えば男女の会話がメインのトラックである。#5は往年のシャンソンっぽいノスタルジックなワルツ。英語で唄われる#8は正統派のマイナー・キイ・バラッド―唄そのものもすこぶる上手い。#9はあの“ミラー・サウンド”をシンセでアップデートしたようなゴージャス感あふれる仕上がり。#12ではダブル・シックスや TSF を思わせる混声コーラスが何処までもジャズィに迫り、原曲では軽やかな女声スキャットがフィーチュアされていたモリコーネの#15には、フランス語による新しい歌詞が付けられ、男性歌手が朗々とした調子で唱い上げている。軽妙な#16はタイトル通りショウビズ色の強い男女のデュオ・ナンバー。数年前にアカデミーで賞を獲った『アーティスト』みたいな内容だったのかしらん…ディーディーが英語で唄う#20もジャズ・ヴォーカル好きには見逃せない1曲だろう―ご堪能あれ!! 関連情報

テヘラン テヘランでロリータを読む

 いやぁ最近「ロリータ」読んだだけに、自分の読みの浅さ、想像力の無さに絶望的になった、これ読んでみて。 「『ロリータ』の物語の悲惨な真実は、いやらしい中年男による十二歳の少女の凌辱にあるのではなく、ある個人の人生を他者が収奪したことにある」「つまり彼女は二重の被害者なのだ。人生を奪われただけでなく、自分の人生について語る権利をも奪われている」。 もちろんロリータ目線から物語を捉え直す試みはしてみたよ、でも、テヘランで「ロリータ」を読むほどには切実じゃない。著者はさらにこう畳み掛ける。「ハンバートが悪人なのは、他人と他人の人生への好奇心を欠いているからだ」「ハンバートは大方の独裁者同様、みずからの思い描く他者の像にしか興味がない」。ぐうの音も出ない。明らかに俺は、“イラン人の人生への好奇心を欠いていたし、みずからの思い描く他者の像にしか興味がなかった”のだ。訳者あとがきには「イスラーム革命後のイランは、生活の隅々まで当局の監視の目が光る一種の全体主義社会となり、とりわけ女性は自由を奪われ、厳しい道徳や規制を強制され苦しんでいた」ってある。そんな社会の中で、自らの状況に擬えて読まれる「ロリータ」なんて、本書を手に取らなければ永遠に想像出来なかった。もちろん「ロリータ」は様々な読み方が出来る訳で、翻弄されるハンバートを老いた英国、手玉に取るロリータを新興国アメリカのメタファーとして読む、なんてのも間違いじゃない。ただ、テヘランでの「ロリータ」の読まれ方を、少しでも、一時でも想像してみる力は持っていたいなぁと思った。日本で生きていると文学の価値なんてどんどん軽くなっていくけど、まだまだ文学の重さ、特権性が存在する国もある。 この本、「ジェイン・オースティンの読書会」とあわせて読むと、読書ってものを通したお国柄の違い、お国柄による文学観の違いを感じることが出来て面白いかも。 テヘランでロリータを読む 関連情報

テヘラン よく晴れた日にイランへ

蔵前仁一と言えば、蔵前氏以前に書かれた旅行記の固めの文体と異なり、軽妙なイラストと共に軽妙な語り口で書かれた文章が魅力だった。蔵前氏以前とは、ひたすら金を掛けなかったり、人生まで語ったり、旅先では日本人が集まる所には行かず日本人とはなるべく会話をしなかったり、「観光地に行くのは本当の旅じゃない」的な、旅のお仕着せだったりする人達の事だ。そう言った内容の旅行記が多かった中で、蔵前氏は貧乏旅行をビンボー旅行と言ったり、どんどん観光地に行き、現地で知り合う風変わりな日本人を紹介したり、「沈没」と言う旅先での一形態を紹介したりと、気軽なバックパッカー旅の提唱者であったように感じていた。ところが、本書はそんな軽妙な文体や内容はどこかに行き、旅行作家の大御所としては余りにも平凡すぎる内容で蔵前氏の本として期待して読んだ自分には面白みが感じられなかった。蔵前氏の本を読んで、バックパッカーの旅に向かった人は多いと思う。しかし本書を読んでイランに行きたくなる様な気分にはならなかった。しいて言えば、自分が旅した頃のイランとは、ビザ事情や物価が相当違っているという、別に蔵前氏の本でなくても得られる情報が知れたのが良かった。 よく晴れた日にイランへ 関連情報




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