ライブビデオ JAPAN 乙女■Festival [DVD]
購入する前に良く公式サイトで当日のセットリストを良く見ておいたほうがいいです。私は森久保さんのファンで3社のそれぞれ1、2作ぐらいしかゲームはプレイしていませんでした。やっぱり出演作が会社またいで多い方は出番も多いです。逆に1公演しか参加されてない声優さんの出番は少ししかないので、声優さんによってたくさん出てくる方と、そうでない方との差が激しいです。ざっと見た印象では鳥海さん、森久保さん、高橋さん、平川さん、井上さんの出番は多かったです。特に森久保さんはゲームコーナーでかなりネタにされていたので、ファンの私はそれだけでも買って良かったなと思いました。朗読劇コーナーは、知らないゲームタイトルも多かったので、あまり期待していませんでしたが、イベントの趣旨自体もそれを踏まえていたようで、わからない作品でもそれなりに楽しめる(置いていかれない)ようなネタが仕込まれたシナリオだったり、モブキャラ役で別タイトルの声優さんが声をあてていたり、所々アドリブが入っていたり楽しめました。「この作品面白そうだなー」っていういいきっかけになるかも。ライブコーナーはキャラソンが豊富なネオロマ無双でした。もう少しオトメイトの歌が多くてもよかったのに、と思います。ですが、歌われてる方は皆歌の上手な声優さんばかりなので男性声優さんファンならそんなに聞いても悪くないかな、と。声優さん好きな方になら是非お勧めしたいDVD!と言いたいところなんですが、ただ、どうしても許せないのが編集です。DVDの編集が、公演ごとの流れに沿っておらず、コーナーごとに切り貼りされているのでフリートークなどのトーク類がまるでありません。バラエティーコーナーも少ないですし。貴重なバラエティコーナーもかなり編集が入っていたのが、がっかり。つっこみを入れてた声優さんにカメラが追い切れていなかったのも残念です。長所短所あわせて☆3つです。 ライブビデオ JAPAN 乙女■Festival [DVD] 関連情報
1280x720より一回り上の高解像度で高コントラスト、くっきりはっきりのシャープな映像。たぶん1600x900ぐらい。ですがフルHD作品に負けず劣らず本当にくっきりしてる。実際フルHDより解像度は少ないんで解像度による限界はありますけど。ただカットによっては細かい輪郭表現などで輪郭強調が過剰気味なってざらつきのような感じが多々ある。バンディングはひどいのは見受けられないがたまに甘いのがある。高コントラストおかげで見栄えが中々いい。でも弊害か少々階調表現が淡白というかなんか味気ない。音声はバランスよく低域高域も程よく出てる。どちらかというとBGMをより生かした感じ。OPEDは本編に比べて少々劣る。BOXは無難な厚さでこれといって問題はないがデジパック内のディスク収納部分が少々薄く、ディスクとケースの余裕が少なく取り出すのに多少苦労する。でディスク枚数多いことがさらに追い討ちをかける・・・。収録音声:リニアPCM(2ch/48kHz16bit):リニアPCM(2ch/48kHz24bit)※コメンタリー※本編が16bitでコメンタリーが24bitなのは間違いではありません。 さんかれあ Blu-ray BOX 関連情報
この映画は実際の事件を題材としているが、中上健次の小説『蛇淫』を映画化したものである。そのため、映画の主人公と実際の犯人とは異なる点が多々見受けられるが、前者について述べたいと思う。 主人公は順という青年である。幼馴染のケイ子と共に千葉でスナックを営んでいるが、このスナックは「親の持ち物」である。ある日、順は親に盗られた車を奪還するため、実家へと侵入するが、この車もまた「親の持ち物」である。順は両親の庇護下に置かれているわけだが、一方で彼は堂々と自分の権利を主張し、挙げ句の果てに軽々と両親を殺害してしまう。 ここで注目すべきは、彼の言動である。全ての言動があまりにも芝居がかっているのだ。まるでアメリカ映画に出てくるアウトローそのままである。彼は現実をフィクショナライズし、自らをアウトローに仕立てあげている。つまり、現実を直視していないのだ。だからこそ両親の庇護下にあることへの恥辱もなければ、両親殺害による罪悪感もないのである。 彼がこのような性格の持ち主になったのには理由がある。元々、彼は中学時代には委員長を務めるほどの真面目な青年であった。真面目な青年であればあるほど、不良少年への憧れは強まるものだ。その象徴が映画内に挿入される、彼が脚本・監督した8ミリ映画である。ここで描かれるのは体制(両親と教師)との対決であるが、これは「学生運動」のメタファーであると考えられる。その反逆精神を旺盛に発露するため、彼は大学進学を望んだわけだが、しかし息子が学生運動にのめり込むことを危惧した父は、願書を破り捨ててしまう。その後、彼がスナック経営に至るまでは描かれていないため憶測の域を出ないが、おそらく彼は有り余る反逆への欲求を昇華させるため、やがて現実をフィクショナライズし、自らをアウトローへと仕立てあげていったのだろう。その結果が、彼の現実味を欠いた言動に表れていると言える。 ところで、親殺しという部分に焦点を絞り、親子の関係に主眼を置いてこの映画を解釈するのが一般かもしれないが、そうなると無理が生じてくる。例えば、順の母親が彼に肉体関係を迫ってくる場面があるが、この行動は明らかに親子関係から逸脱している。男女関係に置き換えたほうがしっくりくるだろう。また、恋人のケイ子は順の母親の行動をなぞるかのように、執拗に彼に付きまとってくるが、母親とケイ子の相似化は明らかに製作者の意図によるものだろう。 すなわち、母親とケイ子、二人の共通項である「女」という要素こそが、この映画を読み解くキーワードである。母親はケイ子を異様なまでに憎悪しているが、それは母親が自分の息子を「男」として見ているからである。彼女にとってケイ子は「恋敵」である。だからこそ母親はケイ子を憎み、彼女の傘をへし折ろうとまでする。 さて、この映画の原作は前述したように『蛇淫』だが、このタイトルは女性の粘着性を表していると言えよう。劇中ではケイ子が舌先を使って順の首筋を舐めるというシーンが出てくるが、その姿は蛇そのものである。「粘着」とは「繋ぎとめること」である。男にとって女とは「所帯をもつための相手」であるが、所帯をもつということは「自由に身動きがとれないこと」を意味する。つまり女とは「男を繋ぎとめる存在」なのである。母親は順と肉体関係を結ぼうとすることで彼を繋ぎとめようとし、ケイ子は順の首筋を蛇のように舐めることで、また時には裸体を見せつけることで、彼を繋ぎとめようとする。 しかし順は女から逃れようとする。映画序盤では母親を殺害し、映画終盤では隙をついてケイ子から逃げ出すことに成功する。女と一緒にいるほうが(=所帯を持つほうが)安定した生活を得られるはずなのに、彼は一人でいることを選択する。それは彼が一人の人間として独立しているからではない。単に対象と向き合うことができないだけである。 映画中盤に一人の子供が登場する。彼はブリーフ姿で波打ち際におり、海へと近づいたかと思うと引き返す。陸(=安全)でもなく海(=危険)でもなく、彼はその中間の「波打ち際」にいるのである。劇中、順のブリーフ姿がたびたび登場することからも、この子供は「順の精神の曖昧性」を表していると考えられる。自首すると言っておきながら、次の瞬間には逃避を決意する。殺害を罪の意識もなく告白したかと思えば、今度は海を眺めながら両親を思い出して号泣する。スナックに火をつけて自殺しようとするも、「熱い」と言って逃げ出す。 この映画の舞台が千葉である理由は、おそらく製作者が「田舎の閉塞性」を出そうとしたからだろう。閉塞とは「変化のない状態」ということである。そして現在の日本ではこの閉塞性は、都会にまで及んでいるのではないだろうか。都会とは「消費の中心」であるわけだが、経済成長も頭打ちとなり、物欲を満たすことで日々に変化を付与できた時代はもう終わった。そして残ったのは、死の危険もなければ生の実感もない、変化のない毎日だけである。 だからこそ人々はリストカットをするのではないだろうか。擬似的に死へと近づくことで、どうにかして生の実感を取り戻し、何とかして今日一日を生き延びているのではないだろうか。 そしてこれは順にも当てはめることができる。彼にとって日常に変化を与える方法は「アウトローを気取ること」だけだった。しかしフィクションの中には生の実感はない。だからこそ彼は自らを破滅へと導くことで生の実感を取り戻し、そして生の実感を取り戻すや否や逃避することで、何とかして生き延びてきたのではないだろうか。 もちろん当人にも責任はあるだろう。しかし、やはり社会にも責任はあるのだろうと思う。彼らの叫びを社会が無視してしまったことが、このような結果を招いてしまったのだ。劇中にもそのような場面がある。 映画終盤、成田闘争の検問を行っている機動隊に対し、順は「親父とお袋を殺した」とはっきりと告白する。「待ってくれ」と機動隊を呼び止めてまで。「いいのか! 親を殺しても!」と精一杯叫んで。しかし機動隊は「どうぞご自由に」と一蹴する。彼の必死の告白は成田闘争という大きな出来事に埋もれてしまったのだ。 だとしたら、あとはもう逃げ延びるしかないではないか。生き延びるしかないではないか。現実を直視することなどできない。なぜなら現実で上げた叫び声は簡単に掻き消されてしまうのだから。 生と死の中間で、その曖昧な部分で、何とか生き延びていくしかない。ある種の人間にとってはそれこそが生きていくためのたった一つの方法なのだと、この映画は言っているように思われる。 関連情報
映画という表現形態が好きで、この作品を観ていない皆様へ。どうかゼヒ観て下さい。私は映画が本当に好きで、いろいろな映画をこれからも観たいし、今までもちょっとは味わってきた「つもり」でした。しかしこの映画は私の自尊心など遥かに超えていました。「パスワードをお忘れの際の設問。あなたの一番好きな映画は?」と訊かれたり、寝不足の日の昼間や初対面の人と「何を話そうか」と悩んでいるようなふとした時など、「私の一番好きな映画は何だろう」と考えた時、(これを初めて観てから何年も経っているのに)長らくこの映画しか頭に浮かびません。日本映画の、これはまごうかたなき極北であります。ひとをころす夢を見る自分の「根」、自他、「殺す」こと、「殺さねばならぬ」こと、人間、「すべて!のことが表されている」日本人の財産です。 青春の殺人者【ワイド】 [VHS] 関連情報
世界規模でみても、こんな人はそうそう居ない。あの時代の日本人が世界をどう考え、何を望んでいたか?という事が良く分かる。むしろ今の時代になって内田良平の行動の方が正しい事の方が多い。また、この件にも関わっておられたか!と思わず嘆息する事多々。GHQは馬鹿である。冷戦期突入まで黒龍会を残し連携すれば、今の様な事も起こらなかっただろうに…要は日本の内田良平までの時代の右派は硬派で天皇を根幹とした大家族主義だという事。これを潰したので結局GHQは日本と上手く連携が取れなくなっているし、日本国民自体が余程の目出度い親米保守の人達以外はアメリカの言う事は逆手にとって考える癖がついてしまったのではないだろうか? 国士 内田良平―その思想と行動 関連情報