鋼の錬金術師 14巻 (デジタル版ガンガンコミックス)
軍部関係から賢者の石などについての謎が多少判明した前巻。しかし今回では、新たな謎がまた多数出てきます。この謎や秘密をどのように上手く解消してくれるか、今後に更なる期待がもてます。あと毎度の事ですが、シリアスな展開が繰り広げられていく中でも、一息つけるコメディの部分を上手に織り交ぜているのは良いなと思います。しかも今回はおまけも増量ですので楽しいハガレンにも注目です。
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血まみれスケバンチェーンソー 11<血まみれスケバンチェーンソー> (ビームコミックス)
(少し内容に触れています) 度重なる規則違反から人間狩りの「ウサギ」役にされたギーコと爆谷。 絶体絶命に見えたが、追う役目の改造死体グループにもこれを機に脱走を企てる一派が居て、ギーコ達と共闘を。 逃げ出した彼らの前に立ち塞がったのは恐るべき力を持ったナチ残党の改造死体3人組の内、グスタフとゲルダの二人だった。 スケバン、チェーンソー、お色気&スプラッター・バイオレンスに加え、同じくセクスプロイテーション映画の定番、「女囚物」と「元ナチ」を取り入れた「プリズン編」。 敵の中からギーコの侠気に触れて新しい仲間になる者が出てくる王道路線ですが、それらの登場人物の殆どが改造されて甦った死体と言う凄まじい設定。それでも相変わらず奔るシャープな線と何処か少女漫画の薫りが残る可愛く妖艶なキャラクターデザインで酷くなり過ぎないエンターテイメント作品になっています。 特に前号までの宿敵、故ネロの技術により若返り+超能力の恩恵を得た元ナチの三人組が未だその実力の片鱗しか見せて居ない物の大いに不気味。 作中ゲルダが見せる戦闘形態はある意味で今までで一番凄いかもしれません。 そして、チーム・ギーコの部長やナグルシファーがこのままギーコを見捨てる筈も無く…。 KADOKAWAエンターブレインの月刊コミックビーム誌、2015年10-12月号、2016年1-2月号掲載分を収録。 巻末には3月に公開予定の映画版への熱い想いを語った「みかもと まいにちにっき(映画用描き下ろしイラスト4点付き)」10頁がオマケ収録されています。
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週刊ベースボール 2016年 3/7 号 [雑誌]
先週号では速報として掲載されていた清原逮捕、今週号からは特集連載が始まりました。今号は伊原監督の証言、PL時代の軌跡。また今週号はそれとは別に?「PL学園休部の真実」6ページ特集もあり、時代の終焉を強く印象付けています。トリプルスリー2人の特集はやや印象が薄くなってしまいました。それよりもクロスプレー禁止による影響を考察した6ページ特集が面白かったのでお勧めです。
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The Mayan Oracle: Return Path to the Stars (Book, 44 Cards, 20 Mayan Star Glyphs, 13 Numbers,and 11 Lenses of Mystery)
私は誰ですか?いつもいつも、神様に問い続けた日々が、今となっては懐かしく思い出される。貴方は本当の自分に逢いたくはない?本当の自分を知りたくはない?人は何故生まれ、何故死ぬの?死とは何?生とは何?永遠てなに?不滅のものとは?不変のものとは?自分探しの旅に出ない?神様、貴方は誰ですか?そして、私は何者ですか?宇宙の鍵が今手の中に。シンクロニシティが始まります。
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一炊の夢
政治家あるいはメディアパーソナリティとしての田中康夫は注目されたとしても、彼の書いたものは不当なまでに評価されていない。読んだ限りにおいて最も印象的な田中康夫評は斉藤美奈子の近著(岩波書店)である。そこにおいては、当然のことながら彼の固有名詞に対するこだわりが論じられている。すべては、一番最初の著作「なんとなく、クリスタル」から始まっているのだ。これを単なるブランド記号の羅列と捉える評価は、全く馬鹿げている。小説本文は読まれたとしても、おびただしい注釈が全くといっていいほど無視されてきたことは、何より誤った評価が一般化してきたことを物語る。固有名詞としてのブランドのもつ意味、コンテクストを理解しないと作品の価値は半減する。「注釈」において過剰なる批評性がこめられているのであればなおさら。そう、彼の一連の文章はすべてそうした、固有名詞の羅列/批評的注釈の双対性においてこそ語られるべき筋合いのものなのだ。本書は食事を通じての彼の自叙伝である。今まで行ったレストラン、食べた食事という「固有名詞」を通して彼の関わってきた人物という「固有名詞」を論じる。その両者の扱いにおいて遠慮会釈が全くないところが彼の芸の真骨頂なのである(私個人的に彼の文章自体は全くうまいと思わないが)。固有名を出すということは、一般論で批評することよりもよほど勇気がいるし覚悟がいる。またそういう批評でなければ読む側は退屈である。
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